郷土の誇り継承委員会 活動理念


 私たちのふるさと上越は、日本海側の海運を活かし朝鮮との交流など縄文の太古から越の国として栄えていました。最近の研究では諏訪大社の祭神が生まれたのもこの地とわかっています。やがて直江津に越後の国府がおかれ長く統治します。親鸞がこの地で浄土真宗を生んだとされていますし、戦国時代には春日山に真言宗を厚く信仰した戦国大名上杉謙信が現れ、宗教哲学者である梅原猛先生はここを「日本の霊性」と称しました。
 越後の国府はその後、1604年に松平忠輝公によって高田に移り、明治に入ると柏崎、新潟市へと県都が移って参ります。高田のまちが作られた事が商人街や祭りなど多くの面でまちに変革をもたらし、今の上越市形成の礎が築かれました。
 松平忠輝公という人物は大変ドラマチックな人生を送った人ですが、その文武にわたる才能もさることながら、友への友情、妻や藩民への家族愛、高田藩や藩士への愛と大変人間味に溢れた人でありました。わたしたちはそれを総合的に「郷土愛」と表現しましたが、将軍である兄に疎まれ時代に冷遇された一生に於いて、そのまっすぐで人間味に溢れた生きざまは、今を生きるわたしたち上越市民にとって誇るべき殿様であったと考えます。
 上杉謙信が身をもって表現された「義」の心は、わたしたち上越市民に脈々と流れる越後人としてのDNAです。そして、上越という地を好み忠輝公が五郎八姫と共に愛した上越の民としての地も、わたしたちはしっかりと受け継いできたと考えます。梅原猛先生が日本の霊性と称した精神性あふれるこの地に住むわたしたち上越市民は、これからまちが立ち向かう時代の流れ、高速交通網の発達、都会主義・一極集中の経済発展といった様々な風が吹く中で、忠輝公から受け継ぐ郷土愛を継承しつつ、しっかりとわたしたちの未来を切り開いていかなくてはなりません。
 鬼っ子忠輝公は確かにわたしたち上越市民の郷土の偉人です。忠輝公の人物像や魅力を、そしてその郷土愛を、次世代やそのまた先へとしっかり受け継ぎ、共にまちへの誇りを継承して参りましょう。